毎回前置きするが、個人的体験から検察批判をするわけではない。
はっきり言って、こういう検事がいるから検察全体の不審につながる。かくいう僕も、不信は持っている。番組冒頭、田淵検事の以下の発言、
「私がなるほどって思える話が出てこないとおかしいですよね」
これじゃ一生、取調べなんて終わらない。
「見立てに合わない話は否定する」宣言である。
被疑者(被告)としては絶望の淵にいきなり立たされる。ここでストーリーに沿った自白をするしかなくなるメンタリティになるのである。番組サイドはこの瞬間をもっとフィーチャーして貰いたい。
元々造ったストーリーにあまりにも合致しなかったので焦って怒鳴ってしまったんだろう。田淵氏も一人の被害者なのかもしれない。検察という極めてプレッシャーの強い機関の中、新しい正義を標榜し続けなければならないノルマのようなものがあったのかもしれない。しかし、自分以外の人々、特に山岸氏のような無辜の人生を台無しにしてしまった。
一生懸命勉強して入庁した組織で洗脳されて、まだなお、山岸氏の判決が残念だというのだから、捜査過程で自らを誤魔化し、判断力まで失ってしまったのだろう。正義から嫌われてしまっている。
この法定で判事が検察の取り調べに問題があることを強調したのは一つ救いである。
「”山岸さんは関与していない”と口裏合わせした証拠だと主張」。こういうところなんだ。ストーリーに無理やり合わせる手法。
被疑者を怒鳴り散らす(僕はこの目に遭っていない)。
嘘だろ、いまのが嘘じゃなかったら何が嘘なんですか?
もうさ、あなた詰んでいるんだから。
映像内セリフ
起訴ですよあなた。
ていうか有罪ですよ、確実に。
命懸けているんだよ!検察なめんなよ!命懸けているんだよ!私は!
懸けている天秤の重みが違うんだ。
「君たち一般人の職務とは違うんだ、俺等エリートは、俺等正義の使徒はあなた達とは違うんだ」
としか聞こえない。こういうエリート意識から漏れ出る歪んだ正義を監視する必要がある。
ここで提唱したい。検察は「聖職」だという市民の意識を変えた方が良い。彼らにはプレッシャーが大きすぎる。検察は検察なのである。一職員の検察が命など懸けてはいけない。ここでは命を「賭けて(賭博)」、被疑者の供述頼みになってしまっているから不正な供述調書を取ることになるのだ。
警察も検察も聖職ではない。高度な職種なのかもしれないが、変に崇めたし称えたりしてはいけない。
(余談だが、筆者は学生時代に先生を無差別に尊敬などしていなかった。)
われわれ市民は捜査機関の諸君らが間違えた時にチャンスを与える度量を持とう。
そして、その間違いに気づいた時に正し、正される文化を醸成しよう。
何より、冤罪が生まれることが最も不幸なことである。
有罪率99.8%は、恥ずべき数字である。
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