ガーシー、留置場と拘置所を語る

ガーシー、拘置所 on bail(保釈中)

ガーシーの言う通り、勾留中・拘禁中共に取調べ担当の方々はとても優しかった。なんというか、人間味があるというか、「もうこうなっちゃったもんはしょうがないよね」というような同情に近いものをかけれられていたのだと思う。

しかし、僕の弁護士はそれが大きな罠だと教えてくれた。正直今となってはそうだと思う。なぜなら、基礎資料として「警察の」捜査資料を読みといていくと、不正捜査、供述捏造をしていたことがわかったからだ。これについてはとてもガッカリした。警察は、印象操作や手柄のためなら事実を捻じ曲げたり捏造したりするのは日常茶飯事なのだとわかったからだ。
これは警察の捜査担当する者が正義を勘違いして行っていることであるので、警察全体を批判しているわけではない。留置職員はとても誠実で気を遣ってくれる方々ばかりであった。ガーシーの言う通り、優しい職員に溢れていたのだが、刑事は信用してはいけないのだとわかった。
ここまで書いて勘違いがないように言っておくと、僕の担当刑事2人に特に不誠実にされたということではなく、捜査を担当する警察内部組織の歪んだ習慣があるということである。

留置から7ヶ月が経とうとするときに拘置所に移された。拘置所の中のことはたくさん語りたいのだがガーシーがせっかく語ったので担当職員について一言。僕のいた小菅ヒルズの一角は朝日は入らない。西日が入るので夕方15時から陽が当たる部屋であった。西向きなのだろう。
なぜこのような言い方をしたかと言うと、部屋の中にはまず、時計がない。買えない。そして西も東もわからない状態で部屋に入れられてしまうので自然現象と体内リズムで生活リズムを作り出さねばならない。時計のない部屋というのは時間がない部屋である。おそらく西向きであろう窓の明るさから時間を予測したり館内放送や外の物音から次の行動に備えなくてはならない。これはなかなか精神的に参るし、人権的にどうなのかと思う。

次に拘置所の飯。留置飯を7ヶ月も食ったからか、めちゃくちゃ美味い。毎日のようにきのこ料理が出ていた。味は薄いが、我々現代人は普段からよっぽど濃いものを食べているのだと思う。刑務の方々が作ってくださった料理を毎日おいしく頂いていた。因みに、味が濃かったり薄かったりであったが、どれも決して不味くなかった。
一口カレー。これも懐かしい。あると、食事が楽しかった。

ガーシーは2024/9/21に保釈されたのだなぁ。僕はその5日後に逮捕となった。そして長い勾留・拘禁生活を経て保釈。4度目の保釈が通った。僕がそれまで保釈されなかった理由は罪証隠滅のおそれ。これについてはいつか詳しく書くとしよう。3度目の裁判のあと、ようやく保釈が通った。本当に嬉しかったのだが、僕も、半袖半パンしかなく、まだ冷たい雨の中急に段ボールと大量の荷物で外に放り出されたのでとても困った。家族と連絡を取る手段もない、弁護人も来ていない、取り敢えず電話ボックスを探してさまよい歩いて拘置所の入口の電話ボックスの中で雨を凌いでメモの中の電話番号にかけまくった。ガーシーは迎えが予め来ていてそれを知ってでたのか・・・、羨ましいぞ。

ガーシーは、保釈されて法の世界は平等だと感じたらしい。ノーコメント。

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